人それぞれ、幸せの価値観は異なる。
例えば、毎日ボーっと与えられた仕事をこなし、退屈な仕事だなと思いながら、低い賃金をもらって暮らす人と、
自分の理想的な仕事をこなして、毎日が充実していて楽しいなと思いながら、高額な給料をもらって暮らす人が居たとする。
理想的な仕事をこなしている人が、ただ与えられた仕事をこなしているだけの人を見れば、きっと「もっと勉学に励んで、自分が理想とする仕事に就けるよう、努力すればいいのに」と、思うはずだろう。
逆に、毎日与えられた仕事だけをこなしている人が、理想的な仕事をこなし充実している人を見た場合、きっと「あんな風に理想的な仕事に就けたらどれだけ楽しいだろうか」と、思うはずだろう。
では、ただ与えられた仕事をこなし、毎日を退屈だと嘆いている人は、必ずしも勉学に励み、理想的な仕事に就けるよう、努力をしなければならないのだろうか。
答えは、全くそんな必要は無いと思う。
例えば、理想的な仕事に就き、毎日充実しているなと思っている人を、世界経済を動かすような大規模な企業の社長が見たら、どう思うだろうか。
きっと、「まだまだ上に行くチャンスはある、俺だったら、現状に満足せず、もっと高みを高みを目指すだろうな」と、思うはずだろう。
では、理想的な仕事に就き、毎日充実しているなと思っている人は、必ずしも現状に満足せず、もっと高みを目指さなければならないのだろうか。
答えは当然、全くそんな必要は無いと思う。
人生における幸せの価値観なんて人それぞれだ。
ビッグビジネスを成功して夢を掴むような幸せもあれば、国の法律に則り、生活保護を需給しながら毎日ゴロゴロ楽に暮らす幸せだってある。
法に触れるような事をすれば、法に則って裁かれる必要はあるが、法に触れていないのであれば、基本的に何も問題では無い。
もし、生活保護を受給しながら毎日ゴロゴロ暮らす人を本気で批判したいのであれば、個人を攻めるのではなく、自分が先導をきって生活保護に関する法律の改正を世間に求めればいい。
その結果、生活保護をもらいながらゴロゴロ暮らす人が死刑になるような法案が可決すれば、望みどおりの未来がようやく訪れるだろう。
もしくは批判ではなく、大きな夢を掴むことがどれだけ幸せな事かを、自分が先導をきって、みんなに紹介すれば良い。人生における幸せの価値観はひとそれぞれだし、誰もそれを変えさせる権限は持っていない。
では、恋人や家族、ビジネスパートナーと言った、より距離の近い間柄であれば、どうだろうか。
人間は、より強い人間同士の繋がりを求める一方で、お互いに異なった個性や価値観を持っているため、パズルのように寸分の狂いも無くガッチリと相性の良いパートナーなど、基本的には存在しない。
異なる部分を、お互いの信頼や愛情でもって、協力しながら隙間を埋める作業が必要となる。
しかし、信頼や愛情があったとしても、どうしても埋まらない隙間もある。
少しぐらいの隙間であれば、お互い少々の妥協や愛嬌でもって、見逃すことも出来るが、
あまりに致命的で、どうしても耐える事の出来ない大きな隙間もある。
世界規模の企業を目指す人間と、ただ自分にとって理想的な仕事に就きたい人間がビジネスパートナーになった場合とか、
純粋な愛情でもって繋がった家庭を求める人間と、人に自慢出来るステータス重視な家庭を求める人間が家族になった場合とかは、信頼や愛情があったとしても、どうにもならない場合がある。
絶対にどうにもならない事態というのは基本的に無いと思うが、人生は有限だ。
その問題の解決に、100年、200年と時間を掛けるわけにはいかない。
ありったけの愛情や信頼でもって、出来うる限りの努力をして、それでも問題が解決せず、あまりに事態が長引きそうな場合は、関係を解消し、お互いがそれぞれ、より価値観の近いパートナーを探し始める必要がある。
人生は、ドラマや映画じゃない。だから、耐え難い程に悲しい別れだって存在するし、目も当てられないようなバッドエンドだって存在する。
だけど、それだけ信頼や愛情を寄せ合って、一時はパートナーとして共に生きていく道を選んだ仲なのであれば、別れの時ぐらい、お互い笑顔で、お互いの健闘を称えあって別れたいものだと思う。