アートとは?

最近は全く作品を発表していないけれど、人知れず考案だけはしている。

けれど、考えても考えても、発信したいと思えるほどの作品を生み出す事が出来ないで今日に至る。

音楽などをやっている30~40代くらいの人と話をしていると「最近はどんな作品を見たり聞いたりしても、これはこれで良いと思えるようになった」という言葉を良く聞く。

それはとても理解出来るし、自分自身同感な部分は非常に多いのだけれど、アーティストの思考としては非常に良くないものでは無いかと感じている

とは言え、その言葉を言っている人に「何でもいいんですね?では、この楽曲(適当にセレクトしたもの)をあなたのデビュー曲として発表しようという企画が立ち上がったとしたら、それもいいんじゃないかなと心から言えますか?」と聞けば、恐らくちょっと待てという反応になるに違いない。

つまり、何でも良いと言いつつも、本当は何でも良くはなくて、自分には自分の確固たるこだわりのようなものが本当はあるのだと思う。

それは自分も同じで、若者から年寄りまで、色々な人の色々な作品や主張を一理あるなと感じていながらも、しっかりと自分自身の考えも持っているというのが本音だ。

その本音を探り当てる事こそが作品作りのスタートなのではないかと感じている。

では、自分の本音というか、作品作りにおける確固たる部分は何なのだろう。

色々な角度がありすぎて全てを言葉にする事は難しいのだけれど、端的に言えば、時代に左右されない程にポピュラーな人間の感情をアート作品として具現化したいというのが自分の中に大前提として存在している。

「 時代に左右されない程にポピュラーな人間の感情 」というのは、例えば愛する人と離れ離れになってしまって悲しいだとか、たった一人生きていく孤独が辛いだとか、漠然とした人生に対する不安であったり、他人と心を通じ合いたいという想いであったりとか、

多分、原始時代の人類と会話をしたとしても、そこまで大きくは相違いはしないであろう、人間の人間らしい純粋な感情を、アート作品として何らかの形で具現化をして、それを見たり聞いたりした時に、視聴者が自分の心の純粋な部分と共鳴して、悲しいんだか安心するんだか特定が難しいような複雑な涙が自然と出るような、そういった作品を作りたいという想いだ。

先日、ゴッホのヒマワリを美術館で見てきた。

結論から言うと、想像していたよりもずっと良い絵だと思った。

そもそもヒマワリという花は、明るく元気な印象とは裏腹に、寂しくて苦しいような表情も持ち合わせていると思う。

ただ文字で「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」とか「 たった一人生きていく孤独が辛い 」などと記載されるだけでは伝わらない、微妙な匙加減の複雑な人間の感情が、見事に絵画として具現化されているなと感じた。

人間の感覚というのは不思議なもので、「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」と言葉で説明されるよりも、絵画など抽象的な形で表現をされたほうが、より具体的というか、リアリティーをもって相手のイメージを受け取る事が出来ると思う。

また、同じ「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」という言葉だけをフォーカスしてみても、難民船から降り立ってボロボロになった人の口から、涙ながらに「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」と言葉で聞く場合や、古い喫茶店の片隅に置いてあったノートの隅に「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」と書かれていた場合など、そういったシュチエーションや環境なんかによっても、大きく言葉の印象は変わってくる。

だからアートは面白いし、奥が深いのだと思う。

音楽にしても、スッとドラムやベースの音が抜けて、寂しげなストリングスの響きの中で「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」という歌詞を歌うのか、それとも壮絶なクレッシェンドの果てで「 愛する人と離れ離れになってしまって悲しい 」と歌うのか、

また、それらの楽器の音色の僅かなニュアンスの違いや、ほんの少しのハーモニーの違いによっても、鮮明に作品の印象は変わってくる。

そんな繊細な感覚を扱う事がアーティストの仕事であり、絶妙にその感覚のバランスがとれた作品が名作と呼ばれるのだと思う。

今自分が生み出しているボツ作の多くに言える事は、どこかで他人や世間の評価を気にして、そんな幻の批評家達のご機嫌を伺うように、それとなく体裁を整えたような形になってしまっているせいで、それとなく格好がついているようで、全く心に響かない駄作となってしまっているように思う。

だからこそ、もっと自分の心に素直な作品を生み出したいと思うのだけれど、じゃあ自分の素直な心とは一体何?と自問自答してみても、いまいち明確な答えが見つからず、駄作が量産されている状態なのだと思う。

とにかくもっと素直になる事、幻の批評家達の言葉を恐れない事、加えて、あまり論理的説明的になりすぎず、直感的な作品作りも大事だと思う。

以上のように、しばらく日記を書く際は、あまり読者の気持ちを考えず、文章を整える事も無く、後で自分が見直したときに自分の軌跡を追える事を最大の目標くらいに、リアルな日記を更新していってみようと思う。

なので、つまらなかったら是非見ない方が良いと思うし、少しでも何か為になると感じた人は、どうぞ好きなように受信をして、好きなように何かに生かしてもらえれば、それは素直に嬉しい事だなと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です