孤独とは何だろう。
もし孤独というものがあるのだとしたら、孤独じゃない、不孤独といった状況もあるはずだ。
では、孤独じゃないという状況とは何だろう。
家族がいること?
恋人がいること?
友人がいること?
それは恐らく違うだろう、家族や恋人や友人が居ても、人生は孤独そのものだ。
なぜなら、人間は命を他人と共有出来ないからだ。
どれだけ肌を寄せても、痛みや恐れは共有する事が出来ない。
つまり、人は誰もが孤独であり、孤独じゃないという状況は存在しないのだと思う。
だから、自分は孤独だと感じることは幻なのだと思う。
自分以外の人間は孤独ではないのかもしれない、そういった恐れが生み出した幻だ。
そして、自分は孤独じゃないという認識も、また幻だ。
家族が居るから、恋人が居るから、友人が居るから、自分は孤独じゃない。
自分は孤独じゃないから、幸せだ。
だとか、そういった解釈の全てが幻だ。
では幻ではないこととは何なのか、それは見ての通りだ。
バッタやカエルは他の生命と命を共有しているだろうか。
当たり前だが、していない。
何百億だか分からないその命は全て例外なく、たった一匹孤立している。
種類問わず全ての生命が、この地球ではそうやって生きている。
孤独とは、生命体にとって極々当たり前の状況であり、それ以外の状況は存在せず、だから当然全く持って恐れるものではない。
孤独を恐れているのは、孤独そのものを恐れているのではなく、その目に確かに映る幻に恐れているのだ。
しっかりと目を凝らして良く観察すれば、簡単に見抜ける事だ。
その正体を見破った後で、改めて幻の陽炎を観察すると、それがいかに魅力的であり、人間の生活に欠かせないものなのかも分かってくる。
酒やドラッグを好むのと同じように、人間には適量の幻が必要なのだ。