今日は、自分が滅多にテーマとして選ばない、恋愛についてブログを書いてみようと思う。
作詞において大定番のテーマと言えば、間違い無く恋愛に関わる話だろう。
なぜ、自分が恋愛を作品作りにおいてテーマとして選ばないかというと、単純に感動に欠けるからだ。
例えば、平和に暮らしていた母子が突然の事故で離れ離れになってしまっただとか、家族にまつわる話というのは自分はとても感動する。
また、戦争など人の生き死にに関わる話というのも、私はとても興味深く、実に感動する。
他にも人生のあり方だとか、人の孤独についてなど自問自答系の題材も、自分は非常に興味深く感じる。
しかし、燃えるような恋に落ちて心ときめく時間を過ごし、その後でお互いのすれ違いで恋愛が終わってしまった、等というのは、悲しいでも感動でもなく、何というか五体満足で健やかに過ごせて良かったね、というような感想に落ち着いてしまって、いまいち製作欲がかき立てられないのだ。
そういった形で、特にここ数年の作品作りや作品鑑賞において軽視し続けていた恋愛だが、最近はもう一度見直してみようという気持ちになっている。
そのきっかけとなったのは、自分の作る作品が、どれも非常に重く、もうちょっとリラックスして鑑賞出来るような作品も作ってみて良いのではないかと思うようになったからだ。
恋愛というのは、人の生活に置いて普遍的に刺激的な要素であり、加えて多くのことを学ぶきっかけにもなるので、特に若いうちは恋をしたほうが良い場合が多いと思う。
恋愛はとても美しく、それでいて儚い、まさに幻のようなものだ。
なので、年をくってからもあまりに追いすぎてしまうと、幻想に振り回されて実の無い生き方になってしまいがちなので、あまり人生の絶対的な要素にはせず、陽炎のような人生の甘い一面という程度に留めておいたほうが懸命だと個人的には思う。
しかし、世の中のラブソングというのは、どこか恋愛狂のような主人公が登場しがちなので、いまいち感情移入や共感が出来ず、遠ざけていたコンテンツだ。
ここまで書いたテキストを読み返してみると、仮にこれが正論なのだとしても、とてもじゃないが人に共感を与えられるような作品は作れそうにない。
やはり、恋愛を題材にする場合は、もっとその感情に没入して、不合理に気づかず、狭い視野の中で作品作りをするような形が最も感動的な作品が出来ると思う。
恋愛とは、大人としての人間性を培うだとかいう話と真逆を行くようなコンテンツではないだろうか。
しかしそれはとても美しく、とても充実した時間を与えてくれる。
獣のように愛し合うか、もしくはそんな心境を模したような心模様を描かないと、素晴らしい作品は作れないのかもしれない。