頑張り屋

人間の体というのは、実にチープな作りだなと最近良く思う。

私達がごく当たり前に摂取している魚の体の構造と、大まかに言えばそんなに変わらない。

顔には目があって、口があって、

その口から食べ物を摂取すると、いくつかの内臓によって栄養が摂取され、

最後はその残りかすが糞となって体外に排出される。

そういった行為によって、一定期間生命は生き、活動をする事が出来る。

大体そんなような仕組みの生命体が、少しずつ特徴を変えて様々な種類に分類され、それらが地上で共に生活を送っている。

鳥、猫、ワニ、鶏、これらは一見大きく異なるようで、根本的にはそれほど大きな違いは無い。

獣たちは食べ物を口やくちばしで直接摂取するが、人間は獲物を皿に盛ってから摂取をする。

世の中には色々な動物がいるけど、人間は本当に変わった生き物だ。

とは言え、野生の獣たちとはそれほど大きくは変わらない。

だから、生きている意味だとかも、野生の獣たちと大きくは変わらないのだろう。

芝生を走り回ったり、おいしい食べ物を摂取したりする事が幸せだから生きている。

病気で苦しんだり、ケガでうずくまったりするのが嫌だから、そうならない手段を探している。

そうやって生き抜いた先に何があるのかと言えば、そうやって生き抜けたんだなという満足感や達成感があるだけで、それ以外は特に用意されていない。

苦労してクリアしたゲームソフトの最後には、そのゲームの製作に関わったスタッフロールが流れて幕を閉じる事になるが、大体そういった感じと同じだ。

うまくクリアすれば、最後はエンディングらしい演出を見る事は出来るが、それまで蓄えたレベルやゴールドは無価値となり、そこから先のストーリーも用意はされていない。

また、途中で力尽きてしまった場合は、ゲームオーバーという悲しい演出を見ながらゲームは幕を閉じ、そこから先のストーリーは用意されていない。

どんな結末を迎えようと、どの道そこから先のストーリーは用意されていないのだが、唯一異なる事は、途中でゲームオーバーとなってしまった場合、本来用意されていたストーリーを辿る事が出来ないという事だろう。

例えば、新しい友と出会ったり、その友と一緒に強大な壁に立ち向かったり、そんな友と別れたり、

そんな様々なドラマを体感出来ずにストーリーが終焉するというのは、まさにバッドエンド、ゲームオーバーだろう。

特別主だった冒険が無かったとしても、人間の脳内では様々な思考が行き来して、見えにくいだけで様々なドラマが存在する。

毎日家の中でとじこもっているだけの人も、様々な葛藤や憧れ、怒りや絶望が脳裏を巡っている。

私達人間は、最後のエンディングを求めて人生を生きているわけではなく、その道の途中に転がるドラマを求めて生きているのだと思う。

だから、どんな結末を迎えたいかよりも、どんなドラマを見たいのかという考え方で進む道を探せば、自ずと充実した人生となり、自然と求めていたエンディングにも辿り着けるのではないだろうか。

自分の場合、求めているドラマというのは、たくさんの尊敬でき信頼できる友が居て、彼らと協力して大きな夢を叶え、その達成を記念して旨い酒と飯を食う。

そしてまた新たな夢を見つけて、同時に新しい友と出会う、そんな繰り返しだ。

常に人がそばに居なくても構わない、むしろ一人きりの時間は自分の人生にとって非常に重要で充実した時間なので、人生の6~7割くらいは一人ぼっちが良い。

そんな一人ぼっちの時間で技術や精神の鍛練を行い、残りの1~2割でその力を発揮する、そんな繰り返しが理想的だ。

順位や記録には特別こだわりはない、ビジネスにせよアートにせよ、空想や理想を具現化するという作業に一番の喜びを感じるからだ。

どんな空想や理想を具現化したいのかと言うと、純粋で美しく、感動的で情熱的なものだ。

そして純粋で愛すべき他人が笑顔になって、健やかに充実した人生を送る、自分の活動がそんな事の手助けになれれば良いと思う。

とは言え、そういった活動に人生を支配されるのもごめんだ。

まったく休暇が無く、毎日スケジュールに圧迫されるような人生は全くもって望まない。

人生の1~2割くらいは休暇が良い。

一人で過ごすのならば、ただダラダラと旨い酒と飯を食らい、ゴロゴロと映画や漫画や音楽など好きなコンテンツを摂取するだけという至福の時間は絶対に捨てがたい。

誰かと過ごすのならば、心から安らげるような人と心から面白いと思える遊びをしたり、ただダラダラと時の流れを感じたりだとか。

そういった休暇は必要だ。

とは言え、休暇が10割も願い下げだ。

鍛練6割、行動2割、休暇2割、それが自分の理想のバランスだ。

何らかしらの目標を見つけ、その達成に向けて日々鍛錬し続ける事が、自分の人生においてメインディッシュなのだと思う。

今日は何となくPCを立ち上げ、特に思う事もないまま適当に筆を走らせてブログを更新してみたが、何とも取り留めも無い文章がダラダラと出力され、まさにこんな感じの思考の動きが、普段の自分の脳内の状態なんだなと再認識した。

自分は、自分が思っている以上に頑張り屋なのかもしれないなと思った。

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