老害

歳をとると、色々な真実や、様々な事柄に関して正解と思われる事が何か分かってくる。

例えば、お世話になっている人には感謝しなくてはいけないだとか何とか。

今日のブログのテーマは、説教臭い年寄りについてだ。

子供は年寄りの説教が嫌いだ。なぜなら非常に退屈で、疲れるからだ。

逆に、歳よりは説教が大好きだ。なぜなら、自分の発見した真実や正解を、若い人に託したい、意思を残したいと思うからだ。

説教が何から何まで悪いとは思わないが、自分個人としては、かなり不賛成側に寄った意見だ。

そもそも、自分自身がかなり説教臭いジジイとしてのポテンシャルを存分に秘めているので、なるべくそうなりたくないと言う抗いの意味もある。

説教臭い年寄りが、若い者に向かって、あれはこうだ、これはこうだと説教を垂れる。

それをボンヤリと聞き流す若者を見て、「まったく!最近の若いもんは!」というような類の愚痴を漏らす。

その言葉からは、自分自身はこんなにもしっかりとしていて、限りなく正解と思われる言葉だけを言っているのに誰も聞いてくれないなんて、世の中は絶対間違っている!

自分自身は一切の非の打ち所の無い完璧な人間なのに、周りは全く気づいてくれない!何て世の中だ!

というような心模様も伺える。

そんな老人達は、確かに間違ってはいない。しかしながら、かなり高い確率で老害と呼ばれる枠の住人だろう。

そういう人達は、言っていることが正しいか間違っているかはさておき、少なくとも周りに良い影響を与えられておらず、むしろ煙たがられている可能性が高く、最悪、みんなが気を使いながら世話を焼いている可能性もかなり高い。

もし自分がそんな将来へと少しずつ向かっているのだとしたら、非常にゾッとする話だ。

じゃあ、歳をとったら何も発信すべきではないのかと言うと、それは全くそんな事は無い。

人間は寿命という概念がある以上、今後引き続き文化を発展させていく為には、年寄りから若者へ何らかのバトンを渡していくことは必須の作業だ。

人としての生き方に関するバトン、仕事のやり方に関するバトン、色々なバトンがあって、そのバトン単体でのクオリティーも確かに重要なんだけれども、

非常に重要なのはバトンの渡し方だ。

老害と呼ばれる人達のバトンの渡し方は、とにかく無理やりで強引だ。

無理やり掌をこじあけて、「いいから貰っとけ、いつかその価値に気がつくから」などと言いながらバトンを押し付けてくる。

そんな風にして貰ったバトンは、本当に価値があったとしても、なんだかありがたみに欠けるというか、心に響かないメッセージになってしまうだろう。

老人の「意思を若い人に伝えたい」という感覚は、若者で言う所の「異性にモテたい」だとか、「金が欲しい」だとか、何か本能的な欲求だと思う。

つまり、若者へ意思を伝えたくて仕方の無い老人は、異性にモテたいだとか、金が欲しいだとか言っている頃から、大して精神が成長していないのだと思う。

自分本位というか、自己中心的というか、自分自身の体内にある欲求だけがアウトプットの引き金になっていて、周りの人達の気持ちを全然汲み取れていないのだ。

人間は、生まれた瞬間は自己中の塊だ。腹が減っただの、クソが漏れただの、自分自身の不快を体全体で表現して、周りの人間に処理をさせようとする。

そして大人になって、今度は自分が処理をする側になる。なぜ不満なのか、その気持ちを汲み取って、相手にとって最も心地よい対応が出来るようになる。

そして死が迫ると、またお世話をしてもらう側の立場になる。赤ん坊の頃に戻るのだ。

しかし、年老いたからといって、やれ飯がまずいだの、部屋が汚いだのわめく人間は非常に見苦しい。

自分をお世話してくれる人達に「ありがとう、助かるよ」と言葉をかけて、満足に至らない内容だとしても自分の欲求ばかりを表現せず、常に人の気持ちを汲み取って行動が出来るようでありたい。

お世話する人達が、気持ちよくお世話できるような老人でありたいと思う。

なんだか話が反れてきたけれど、つまりは歳をとったらとっただけ、自分自身の本能的な欲求や発信は控えて、人の気持ちをうまく汲み取りながら生きていく方が健康的だという話だ。

人の気持ちを汲み取るとは言っても、キョロキョロと周りを気にしてばかりいるのもみっともない。

堂々と、それでいて穏やかに、ニコニコと笑顔を絶やさず、関わる人達がみんなハッピーになれるような人柄でもって、

ここぞという時に「お世話になったなら、感謝しないとねぇ」と、ポロッと格言を言うくらいが、若い人にはグッと来るのだと思う。

本来の自分らしさを封じて、人当たりの良い性格を振舞うという事は昔から抵抗があったけれど、このように考えると、歳をとって役者になるのも、まあ悪くないような気もしてくる。

少なくとも、自分はまださすがに老人と呼ばれるには早すぎる年齢なので、その時までどういうジジイになるか、じっくりと考えておくことにしようと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です