美人な人、不細工な人

日本では当然のように美人がもてはやされている。

ほんの数ミリの目の付いている位置や、ほんの数ミリの鼻の大きさで、なぜここまで人の評価は変わるのだろう。

友人や家族を大事にし、草花や動物を愛し、いつも笑顔で明るい不美人よりも、

自分の承認欲求や世間体ばかりに目がくらむ美人の方が優れている理由は、どこにあるのだろうか。

そもそも、ここまでビジュアル至上主義が横行しているのは、日本だけではないだろうか。

日本人は、何となくすごそうなもの、自分よりも上だと思うものに対しては、特に論理や明確な理由が無くとも平伏してしまう癖のある民族なように私は思う。

だから内面など見ず、ただ見た目が美人だというだけで自分よりも優れた存在だと思い込み、それ以上の追及や考察をやめてしまう傾向にあるのだと思う。

逆に、ただ見た目が悪いというだけで、自分より劣ったものだと思い込み、内面など見ず、安易に軽視してしまう場合が多いのだと思う。

当然ながら、そのような考え方は文化人としてはあまりに低脳だ。

パッと見の外見などよりも、その人のもっている知識や道徳心、技術、その他諸々の様々な内面を見て、その人がどういった人間なのかを慎重に判断すべきだ。

要するに、日本人は自分で深く考え、一考し、自分なりの論理を構築し、人生を切り開いていく事がひどく苦手な民族なのだと思う。

だから、見た目というあまりにも安易な情報だけで物事を判断してしまいがちなのだと思う。

何度も言うが、見た目だけで人を判断するという事は完全に誤りであり、あまりにも低脳である事は間違いないのだが、人間は集団行動の中でしか生きていく事が出来ず、そのようなビジュアル至上主義の人間が過半数の社会では、そのルールに従うしかないのだ。

100歩譲って年齢や体型といった部分は、出産など子孫を残す作業において悪影響があるので、見た目である程度判断をしてしまうのは本能という意味で仕方がないと思うが、

ちょっと目の位置が離れているだとか、顔が丸いだのといった所で何もかも判断してしまうのは、同じ人種である身として非常に悲しい気持ちになる。

そんなビジュアル至上主義の日本で快適に暮らしていく為には、ある程度所属するグループを選ぶことも重要になってくると思う。

もし、自分が不細工だからと、たったそれだけの事で毎日暗い気持ちで生きている人が居るのだとしたら、いっそその集団から抜け出し、場合によっては国外に移住する事を視野に入れてもいいだろう。

何度も繰り返すが、人を見た目で判断することはあまりに原始的な考えであり、文化人としては非常に恥ずかしい判断であり、完全に誤りだ。

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